はじめに: 私にとって衝撃的な場面を目撃しましたので報告します。 今年2004年10月1日に野洲市が誕生しました。その野洲市には「銅鐸博 物館」があります。銅鐸博物館の一角には弥生の森歴史公園があります。竪穴 式住居の脇を抜け 赤米作りの田圃の横を通り越して奥に進むと 山乃神 と いう標識が目に入ります。↑公園の入口
↑竪穴式住居
↑山乃神の標識
↑山乃神の森 山乃神の碑:
山乃神 と彫られた大きな石碑が建っていまし た。石碑の下の辺りに何やら木の枝がならべられ ていました。 ←山乃神の碑
小さな木の枝は人形のようでした。 木の枝は二股に分かれており 男女を形 どっているようです。 ←供えられた人形
↑男形と女形 よく見ると 男形と女形の人形でした。 上の方には目鼻口が描かれています。 二股は性器を象徴しているものでした。 民間信仰: 銅鐸博物館の賢そうな職員さんに聞いてみると この山乃神は 銅鐸博物館 近くの集落が祀っているものだそうです。湖東・湖南地域では山乃神を祀る行 事が広く行われているとのことです。ちなみに この山乃神の碑が建っている 一角は弥生の森歴史公園の敷地に連なっていますが 銅鐸博物館の管轄外との ことです。 目を開けた顔は官能表現を意図したものではないでしょう。山や田んぼで働 く人手を得るための多産を祈願する目的で祀っているものと思われます。 一年のどの時期に どのような儀式を どの程度の人数で 祭祀しているのか などの詳細は確認していません。以前 銅鐸博物館を見学したとき 正月に祀 るという説明があったように記憶しています。このような祭祀は非常に原始的 な欲求に基づくものなので 日本の各地で行われてきたことが想像され 今で もある程度続いているものと思われます。ただし ここで見かけたような人形 を供えて祀る習慣がどの程度広まっていたのかは知りません。 お勉強: いわゆる山の神を畏れ敬う ことに私は人後に落ちないと思っていますが 実は山の神という語の意味をよく理解していません。 「広辞苑」で「山の神」を引いてみると次のように説明されていました。 「山を守り、山をつかさどる神。また、山の精。民間信仰では、秋の収穫後は 近くの山に居り、春になると下って田の神となるという。...(以下省略)」 小学館の大百科事典「スーパー・ニッポニカ2002」(DVD版)では 「山を支配する神。全国にみられる民間信仰で、多くの土地では山の神は女神 だという。 しかし男神という所もあり、また夫婦(めおと)神としている例も ある。山の神を女神としている地方では、この神は容貌(ようぼう)がよくない ので嫉妬(しつと)深く、女人が山に入るのを好まないという。山の神信仰につ いては、山仕事をする木こり、炭焼き、狩人(かりゆうど)などと、農作をする 人々との間では多少の違いがある。農民の信ずる山の神は、春先山から下り田 の神となって田畑の仕事を助け、秋の収穫が終わると山へ帰り山の神となると いう。山仕事をする人々は、山の神が田の神になるというようなことはいわな い。...(以下省略)」 と詳細に説明されていました。 銅鐸博物館への交通など: 入場料:公園は入場無料 博物館は200円 休館日:月曜日、祝日の翌日、年末年始等 交通:【電車】JR「野洲駅」より近江バス村田製作所行き・花緑公園行き 「銅鐸博物館前」下車 【車】名神高速「栗東IC」または「竜王IC」より国道8号線 希望が丘文化公園進入交差点を南へすぐ。 【徒歩】(推測です)JR野洲駅より約30分(3キロ足らず)
関連URL: ・「銅鐸博物館」については 「銅鐸博物館」をキーワードとして 検索すれば沢山出てきます 関連記事:近江の蓮名所めぐり ***** 緊急情報:野洲市誕生記念特別展 ************* ・会 期 :2004年10月16日(土)〜11月21日(日) ・記念講演: 「野洲の仏教美術」 10月24日(日)14:00〜16:00 滋賀県立近代美術館学芸課長 高梨 純次氏 「大岩山銅鐸と野洲の古代」11月7日(日)14:00〜16:00 奈良大学教授 水野 正好氏 ・入館料 :大人600円 学生450円 小人300円 ・会 場 :銅鐸博物館(野洲市歴史民俗博物館) Tel:077−587−4410 *********************************** (散策:2004年9月9日) (脱稿:2004年9月30日) この稿のトップへ 報告書メニューへ トップページへ